今の当たり前が、いつまでも当たり前だと思わないように。
朝目が覚めると違和感を覚えた。
外は明るいのに携帯の目覚ましが鳴らない。
時間を確認しようと携帯を押しても反応そのものがない。携帯は充電器に繋がっているのに電源が入らない。
それどころか壁掛け時計も止まっている。時間は12時ジャスト。短針も、長針も、秒針も見事に上に向かって整列している。
とりあえずリビングに移動する。
リビングはいつも以上に静かに感じる。まるで深夜のうちに雪でも積もったかのような不思議な静けさだ。
リビングの時計も12時で止まっている。テレビもつかなければ、冷蔵庫も冷えていない。
一晩のうちに家電製品が全部壊れてしまっている。
誰かに聞こうにも誰にも連絡がとれない。
かろうじて蛇口をひねると水が出た。
でもお湯は出ない。
しびれる様な冷たい水で顔を洗って、スーツを着て会社に行くことにした。
会社に行けば誰かいるし、この異常な状況に対する解が得られるかもしれない。
これはこの家だけの現象なのか、はたまた。
そしてぼくは静かな玄関で、静かに靴をはいてドアを開いた。
「もし明日世界中から電気が無くなったなら」という想定でイメージして書いてみた。
深夜12時を境に世界中から電気の存在そのものが、すっぽりと不在になってしまったら。
そんなことは起こりえない”かもしれない“けれど、そんなことが起こったらどうなるだろう。
これは仮定だ。もしもボックスだ。
もともとは「明日インターネットが世界中から無くなったら」を想像してみたけれど、もう一歩踏み込んで電気を消してみた。
電気がなければインターネットもまた、その生命を保つことができないわけだから。
これは「無くす」ことで、そのものが全体の中でどう“機能”しているかを知る試みだ。
例えば、目隠しをすれば、普段目がどのような役割を担っているか、手にとるようによく分かるようになる。
こうしてちょっと想像してみればわかるように、今の日本から“電気”が無くなるということは、ほとんど社会の崩壊を意味する。
仕事もできなければ、日常生活を送ることさえできない。夜が来れば街はまるごと闇に飲み込まれてしまう。
そうなって初めてカタチあるリアルな世界だけが残る。
自分の手の届く範囲のものにしかふれられず、自分の見える範囲の情報しか受けとることができない。
自分の足で進んだ分しか前に進まない世界。
それはかつて当たり前だった世界の姿だ。
別に昔を懐かしむ訳ではない。電気が無くなればいい。という訳でもない。
でも「人が生きる意味」みたいなものを考えるとき、そこには電気がない気がしただけだ。
大切なことはいつも、電気のないところにあるんじゃないか、と。
電気の無い世界を想い描くとき、それは暗く見えるかもしれない。
だけど人類は長い時間ずっと、電気のない世界を歩んできた。
そのことを忘れずにいたい。