知っている言葉、使っている言葉が、その人の生きている世界そのものである。
ある日ネットでピダハンのことを知った。
ピダハンというのはチヂミのような民族料理、ではなく部族の名前で、アマゾンの奥深くに暮らしているらしい。
ピダハンは世界で一番言葉を持たない民族として知られているようだ。
驚くことに、「右手」や「左手」を示す言葉も持たず、手は彼らにとって手でしかないのだ。
めちゃ面白い民族やん、と思っていたら、たまたまその日に行ったカレーカフェNEU!(ノイ)の店長うーたん氏がピダハンの本を貸して下さった(神)
このところいくぶん読書から遠ざかっていた為、完読するのにずいぶん時間がかかった。
せっかく新年になったことだし、読書を週間づけようとさっそく熟読。想像以上に面白く充実した一冊でした。
この本の著者ダニエル・L・エヴェレット氏は言語学者でありながら、根っからのキリスト教徒。
キリスト教を布教すべくピダハンのところに乗り込んでいった訳ですが、外からの文化を一切受け入れないピダハンを前に、布教を諦めてピダハン語の学者になってしまったのだ。
ミイラ取りがなんとかである。
ピダハンは「今」以外を指し示す言葉を持たず「さっき」や「昔」、「明日」や「これから」というような時間を指し示す言葉を一切持たないとのこと。
ピダハンには「今」しかない。
だから明日を憂うことも、過去を悔むこともない。
実にヨガ的な民族だと思った。
言葉がないということは、その世界において、その概念あるいは事象そのものがないということだ。
たとえば「愛」という言葉がない世界においては愛は存在しない。
またピダハン語には「神」という単語もない。しかし「精霊」はあるから面白い。
これだけ言葉が少ないピダハンは貧しいだろうか?
答えはレスイズモアー。ピダハンはピダハン的世界において幸せそのものだという。
【数の多さ=幸福】
という公式は成り立たないのである。
ピダハンはピダハン的世界観の中で、常にリラックスして豊かに幸せに暮らしている。
文明的に劣っているとはいえ、人間的に劣っている訳ではない。
ピダハンから学べる豊かな生き方が沢山ある。
「生き方を見直す」という意味で新年にふさわしい一冊でした。