長い時間生きているものはそれだけで価値がある。
写真は最近携わっているアンティークのお仕事で撮影したもの。
(ECサイトが来月オープンしますのでお愉しみに)
技術の観点から見れば、昔より今のほうが遥かに高度なものが作れるはず。
もちろん今は昔よりとてつもなく便利になった。
もうちょっとしたら机の引き出しからネコ型ロボットが出てきそうな程に。
それなのに、こうしてアンティークと対面していると、そんな当たり前に疑問を持たずにはいられなくなる。
アンティークが魅力的に過ぎるからだ。
そうに違いない。
それ以前に現代は“中途半端”なモノが多過ぎる。
いささかではない程に。
どうしてそうなったのか。
答えは簡単だ。
美しい道具はコストがかかり過ぎるのだ。
大量生産&大量消費という2つの車輪で前進しつづける高度資本主義経済においては、ほどほどに使える物が安く、“大量に”つくれるることが何より大切なのだ。
そして、この高度資本主義経済のDNAには「古くなる=いらなくなる」と刻み込まれている。
ホームセンターで購入できるプラスティックの製品は確かに便利だし価格も安いが、すぐに汚れて醜くなってしまう。
そうなったら捨てるしかない。
捨てたらまたホームセンターで新しいのを買えば良い。
ザ☆悪循環である。
もちろん現代にも素晴らしいデザインのものは沢山ある。
でもその中で、100年後、200年後生き残っているものはどれくらいあるだろうか。
今の時代を目の前にウィリアム・モリスはどう思うだろうか。
そして、自分の仕事はそれくらい長い時の洗礼に耐えられるものだろうか。
デザインとは明るい生活の歌でなくてはならない
かつてデザインで力強く日本を牽引した亀倉雄策が言うように、デザインとは新しい生活の美術であると悟らしめることができたなら。
もうちょっと未来は明るいかもしれない。
長い時間生きているものはそれだけで価値がある。
人の手から手へ、受け継がれるようなデザインができたなら、それはまるで魔法のように見えるんだろうな。
そんな想いに足を絡め取られながら、ぼくはまた一枚、シャッターを切った。