おじいさんの手仕事

 

身近過ぎて見えなくなっていることがよくある。

 

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それは例えばこんな風景だったりする。

 

これは実家で毎年12月にお目にかかれる毎年の風物詩。

 

うちのおじいさんは、毎年地元の福祉施設に新年の門松をこしらえて寄与している。まことに奇特な人物である。

 

この日も車庫を覗くとお手製の道具を駆使して、手際よく藁を束ねて、門松のハラマキみたいなやつを作っていた。

 

驚くべきはその作業スピード。もうみるみるハラマキが出来上がっていく。それもビニール紐で。きっともうこの動作が手に染みついているんだろうな。

 

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こうして見ていると昔の人はほんとに凄い。ただただ凄い。

 

だって身の回りのものを全部身の回りのもので作ってしまうのだから。

 

藁は、草履になり、縄になり、人を呪う人形さえだってなる。

 

竹は、ほうきになるし、茶さじや茶筅をはじめとする茶の道具から、タケコプターにもなってしまう。(ならない)

 

恐るべき古き良きマテリアル。

 

しかも使えなくなったその日には土に埋めれば自然に還るのだから、エコそのもの。エコなんて概念がなかったその時代から、人々は自然と寄り添い無理のない暮らしを営んでいたのだからなんとも感慨深い。

 

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おじいさんの手仕事を見ていると不思議と静かな気持ちになる。

 

それと同時にすこしソワソワもする。このソワソワの正体をぼくは知っている。それは、この技術をこのままおじいさんの代で終らせていいのだろうか、という想いだ。

 

身近すぎて、いつか習えばいいや。と毎年先送りにしている。その腰はあまりに重いので、来年はみんなで門松をつくるワークショップでも企画しようかな。

 

 

身近過ぎて見えなくなっているものがよくある。

 

きっとまだ、たくさんあるはずだ。

 

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