僕は今、野球場の裏に住んでいる。
野球場には日々色々な人が訪れ野球の練習をする。もちろん時には試合もある。
平日の朝は部活の練習で騒がしく、その後お年寄りたちがどこからともなく集まってきてゲートボールにいそしんでいる。
なんとも穏やかな気持ちになる。
物干から野球場が丸見えなので、なんだか恥ずかしい気もする。
でも誰も人の家の洗濯物なんて気にしない。たとえば僕がそうであるように。
野球場の裏に住むことにデメリットのようなものがあるとすれば、朝練の声がうるさいということくらいだ。
夢の中まで「しまってこぉーー!」「ばちこーい!」と聞こえてくるほどに。
もし僕が村上春樹の文脈の中で生きていたら、晴れた日の昼下がりに缶ビール片手に芝生に寝転がってぼーっと草野球を眺めていたかもしれない。
きょうは久しぶりにカメラを片手に野球場の周りを散歩した。
冬の野球場は驚くほど閑散として物悲しい場所だった。
そもそも新年早々、この寒い中散歩をする理由なんてない。なにひとつない。
ただ何かを見つけたかったのかもしれない。
何かを変えたかったのかもしれない。
何かを見つけたかもしれない。
何か変わったかもしれない。
今日は久しぶりに誰のためでもない、何のためでもない写真が撮れた。
カメラがすこし、軽くなった気がした。
僕は今、野球場の裏に住んでいる。